「弓は誰かが射るのではない。「それ」が射るのである」
これはドイツの哲学者オイゲン・ヘリゲル(1884-1955)の言葉です。ヘリゲルは日本へ渡り日本の弓道を極めました。その極意を彼は『弓と禅』という本にまとめました。これはそんな彼が弓道から得た洞察から生まれた言葉です。
オイゲン・ヘリゲル『弓と禅』 魚住孝至:訳・解説 KADOKAWA
弓道は遠く離れた的を弓で射る競技。手元のわずかなズレが的の上では大きなズレとなってあらわれます。いかに自分を落ち着かせて矢を射るか。弓道とは己と向き合う競技であるように感じます。ヘリゲルのこの言葉には、「自分」という意識を介在させて物事を行うことの難しさが表現されているように思えます。
「弓は誰かが射るのではない。「それ」が射るのである」
さて、ここでの「それ」とは一体何でしょうか?それは「無意識」である、と私は考えます。自己という「意識」と自己を極力介在させない「無意識」。物事を正確に遂行するには、この「無意識」をいかに利用するかにかかっているのではないでしょうか。
好きなことって無限にできたりします。スマホでSNSの投稿をチェックしたり、テレビを流し見したり、ゲームをしたり……。時間が溶けていって、なんでこんなに時間を過ぎるのを忘れてできるんだろう、と不思議に思ったことは誰しもがあるはず。これこそが「無意識」がなせる業なのではないでしょうか。
それは換言すれば、なにかに“没頭”している時間であるといえます。つまり物事に100%フォーカスしている時間。私はこの何かに没頭している時間を大切にしたい、と思います。
良いアイデアはぼーっとしている時間に生まれる、といいます。何か良いアイデアをつくろう、と頭をこねくり回しているよりも、ソファーで寝転んでいるときのほうが良いアイデアが浮かぶようです。実際に、国民的人気マンガ『名探偵コナン』の作者である青山剛昌さんは本編のストーリー展開を考える際にソファーでじーっとアイデアを巡らせるそう。NHKの番組『プロフェッショナル仕事の流儀』(初回放送:2024年5月2日)でやっていました。
瞑想も「無意識」へ自分をいざなう行為だといえるでしょう。私もブログのアイデアに行き詰ったときや疲れを感じたときに5分ほど瞑想をするようにしています。なんとなく頭がすっきりする気がします。
そんな「無意識」を考えさせられるヘリゲルの言葉でした。
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1924年に来日したヘリゲルは東北帝国大学の講師として哲学を教えた。日本での5年間の滞在の期間に弓道を学んだ。
ここで登場した本たち
オイゲン・ヘリゲル『弓と禅』 魚住孝至:訳・解説 KADOKAWA
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