失敗や成功のごときは丹精した人の身に残る糟粕のようなものである
渋沢栄一『論語と算盤』
ここでの「丹精」とは、心をこめて物事をすること。「糟粕」とは、酒のかすのこと。つまり、私たちの成功や失敗といった事柄は、酒のかすほどのようなものだ、ということ。ちょっと大げさな表現かもしれないが、的を得た表現のように思われます。
私たちは「準備」の大切さを教わります。それは準備が物事の結果を大きく左右するから。それは正しい。一方で、「準備」に時間をかけすぎるのもいけない。物事はやってみなければ分からないこともある。物事を「行う」ということは、いわば「実験」のようなものなのかもしれない。実際にやってみて、その結果、フィードバックを得て「やっぱりだめだったな」とか「意外といけるじゃん」とか、はじめてその感触がわかるもの。それは実際にやってみなければ分からないことです。「準備」のし過ぎもいけませんね。
「準備」をやり過ぎてしまうほかに、私たちの足かせとなるのが失敗への“恐怖”です。頑張ってやってみて失敗したら、やっぱり落ち込みますものね。ではなぜ私たちは失敗を恐れるのでしょうか。
それは、失敗するとなんだか自分が駄目な人間である、という感覚に襲われるからではないでしょうか。
失敗した⇒ 自分=ダメな人間
そんなことないんだけどね
これは個人差がありますが、過去に人から強く、しつこく叱責されたり、過度な期待をさせられた経験のせいであると私は考えます。心当たりがある方は、この呪縛から解放されることを目標としたいですね。
失敗や成功のごときは丹精した人の身に残る糟粕のようなものである
渋沢栄一『論語と算盤』
渋沢栄一『論語と算盤』KADOKAWA
では、どうすればよいのか?
物事に挑戦し続けること、だと私は考えます。これにはコツがあって、あまり結果にこだわらないこと。「挑戦する」という動作にフォーカスすることです。ゴールは「成功」ではない。ゴールは「終わらせること」なのだと自分に言い聞かせてみましょう。「挑戦する」こと自体に価値があるのです。
「挑戦」し続けることに関しては、プロゲーマーの梅原大吾さんの著書もおすすめだよ!
梅原大吾『勝ち続ける意志力』小学館
物事を続ける大切さは渋沢栄一氏も教えてくれています。彼は生涯で481社の企業の設立等に携わったとされています。
(東京商工会議所 https://www.tokyo-cci.or.jp/shibusawa/history/pdf/companies.pdf)
生涯でこれだけの企業に関わってきたというのは彼がいかに挑戦し続けた人か、というのが分かります。
もちろん物事にはリスクがあります。失敗すれば損失が出るかもしれません。渋沢氏のように企業を立ち上げる、となると失敗は損失につながります。でも渋沢氏はやったのです。挑戦を選んだのです。
おそらく渋沢氏は綿密な「準備」をしたでしょう。それでもこれだけの企業に携わったのだからすごい。
私たちが挑戦をして、例えば失敗して、何か失うものはあるでしょうか?それは一度立ち止まって考えてみてもよいかもしれません。意外と失うものは少ないのではないでしょうか。失敗が怖いのなら、それは単に失敗恐怖症になっているだけなのかもしれません。
「失敗や成功のごときは丹精した人の身に残る糟粕のようなものである」
渋沢栄一『論語と算盤』
ここで渋沢氏が強調したいのは「丹精」という“準備の大切さ”よりも「恐れず進め」という“挑戦し続ける大切さ”ではないでしょうか。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
今日も皆さんにとって実りある1日でありますように。
ここで登場した本たち
- 渋沢栄一『論語と算盤』KADOKAWA
- 梅原大吾『勝ち続ける意志力』小学館
Number
- 渋沢栄一氏は生涯で481社の企業に関わった。(東京商工会議所 https://www.tokyo-cci.or.jp/shibusawa/history/pdf/companies.pdf)
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